10.7.19(月) 無駄の効用。

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相手をどうするでもなく、自分がどうなるでもない。
かといって何か結論が出るわけでもない。
会話は、そんな状況もしばしばです。
それでいて話し終わった後、なんとなく心が温く潤っている。
それが会話、それが人間関係。
理屈にあわなくても良いんだと思います。
理屈とは、もともと説明のつかない感情や思い付きや行動に
後から付け足した論理という面も多い。
たとえ理屈に合わなくても、心の満足が得られたら、
心が穏やかに安らぐとしたら、理屈などいらないと思います。
無駄話こそ、人の心を和らげてくれる、大切な無駄なのかもしれません。
私達人間の社会には、一見無駄のように見えるものがたくさん存在します。
人間に無駄な人間など、一人もいないのと同じように、
物にも無駄なものなど一つもないのかもしれません。
無駄なものがあるとしたら、それは人が人の勝手で
無駄と認定しただけの事かもしれません。
無駄と認定した人の思いに過ちはないのか。
本当に無駄と決め付けてしまって間違いはないのか
時に、ふと考えさせられます。
ゴミを捨てるな、という話しではありません。
人間関係の中で、一見無駄のように見える会話が
実は人と人との間で、無くてはならない潤滑油になっていることを
再認識しておきたいと思うのですが・・・
家族でも、友人同士でも、人と人との間に無駄話が行き交う事が
人間関係を豊かにしてくれているのだと思います。
無駄も、人生の立派な立役者なのかもしれません。
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