心と、言葉。
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時には強靭な心の持ち主に
お目にかかることがありますが、心というものはたいていが
持って生れたものでしょう。
人生を歩む中で修行したり・学んだりしたことで
経験や知識が増える。そのことで心も少しは強靭になったと
思いたい。
しかし私の場合、それは知識や、知恵が多少増えただけで、
心という人の根幹を支える筋肉にはなっていないように思います。
私の場合心にはもともと筋肉など、ないのかもしれない。

かの空海は
人はどうしたら仏になれるのかという救済原理を考え
=即身成仏。→さらにそのために何をなすべきか。
→身体・言葉・意識、それぞれのレベルで何をすればいいのか。
=印を結ぶ、呪文・座禅へとつながっていったそうです。
空海が着目したのは、日本人の思想の原点を見つけること。
最終的に掴み出したのは、霊魂。死者の霊に対する考え方、
つまり死生観の展開。
人は死ぬと魂が山に登り、神や仏となる。
この考えが日本人の心を安らげることになる。と・・・
次に、自己とは何かということ、人の心の問題。
日本人は宗教嫌いの心好き、という面にに着目して、
心と体の二元論で自己を考えたようです。
そして空海は、人の心は成長する、変化すると考え
「世界は言葉で満たされる」と説いておられます。
心と言葉、密接に繋がっていますね。
空海は人の心は、成長し、変化すると説いていますが、
どうも私の心は、これまで多少の変化はあったにせよ、
成長は心許ない・・・・・・だって私の心には筋肉がない。
心に直ぐ筋肉がつくサプリメントでもないものか?(笑)
心が無駄な脂肪で覆われる前に、
心にも少しは筋力を付けたいと思う今日この頃です。
だれ、もう遅いなんて言ってる人・・・(そうかもね、とほほ)。
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